実家はお寺の住職、未信者の多い葬儀

故人と喪主夫妻だけがクリスチャンで、(喪主の奥様の)実家はお寺の住職ということもあり、未信者の多い式になりました。賛美歌も不慣れでしたが良いリードしていただき、なんとか一緒に歌うことができました。良い式になりました。ありがとうございました。

依頼者:兵庫県 K様

クリスチャンの父の納骨式

父親がキリスト教の洗礼を子供の頃に受けていて、去年岡山にて亡くなりキリスト教の式で葬儀を行いました。一周忌に納骨をおこないたいのですが、父親以外キリスト教ではないので牧師さまの宛がなく困っていました。幸い、御社と巡り合い、大変温かい納骨式を司式していただきました。ありがとうございました。

依頼者:神奈川県 M様

希望あふれるエンディング

先日、若い頃にキリスト教に触れたと言われる女性が癌(がん)に侵され、余命1カ月と宣告された。ご家族はキリスト教葬儀を希望されたが、牧師に伝手(つて)がなく、ご子息が当社に事前相談を寄せられた。

それから約1カ月が過ぎた。ご子息より、余命1週間という知らせとともに、ご本人が「キリスト教に入信したい」と言われていることが突然知らされたのである。

ご家族の今後のことを考えると、近隣の牧師に継続的に寄り添っていただくべきと思い、最善を備えてくださる主に祈りつつ、関東地区の連携牧師名簿から適任者を選ぶことにした。

関係者と共に祈る中、2日後に素晴らしい報告が届けられた。死を目前にした弱さの極致にある方だったが、牧師の訪問を待っていてくださった。そして、その場で、ご自分の意思で福音を受け入れ、信仰を告白され、洗礼を受けられたのである。

おそらく、その場に駆け付けたご家族と共に、天国の窓が開く経験をされたことだろう。死を目前にした絶望とも思える状況の中に、輝く大きな希望を見いだされたのである。

その日から実際に召されるまでの1週間、弱さのただ中で、天地の創造者に心を向けられた。日々、洗礼を受けたことを喜び、与えられた人生に感謝し、天国の希望を告白して過ごされたようである。

葬儀は、洗礼を授けた牧師が司式した。それまで祈りつつ備えてきたキリスト教葬儀社や関係者の見守る中、天国に凱旋された故人を偲び、神様に感謝する感動的な葬儀が執り行われた。

ご家族にとっては、大切な家族を失った悲しみの中にも、大きな慰めを得たエンディングであったことは言うまでもない。

 

引用:クリスチャントゥデイ -「日本人に寄り添う福音宣教の扉(30)希望溢れるエンディング」 (2017年10月5日)

故人以外はノンクリスチャンというご家族の葬儀

故人は三代目のクリスチャンですが、この数年は教会へ通うことができなくなり、葬儀社に相談したところ紹介を受けました。家族には信者はいませんが、皆キリスト教には理解のあるものばかりですので、心のこもったキリスト教式の葬儀を司式していただき、大変よかったと思います。ありがとうございました。

依頼者:埼玉県 H様

葬儀に牧師の手配ができずに困っていました。

末期がんではありましたが、突然のことでした。葬儀も日曜日となり、近隣の教会に連絡しましたが、牧師の手配ができずに困っていました。御社に巡り合え、大変温かい葬儀となり、感謝しています。

依頼者:愛知県 H様

祝福を受け継ぐために

先日、ご主人に先立たれた高齢のご婦人に寄り添い、老人ホームの一室を借りて記念会を行った。先に信仰を持って召されたご主人の後を追うように、ご婦人は信仰を持たれ、すでに洗礼を受けておられた。

洗礼を受けられたとはいえ、高齢になってから聖書の言葉を理解し、祈る習慣を持つことは容易なことではない。ご自分で教会に集える状況ではないので、記念会の場を借りて、聖書の言葉をお伝えし、天国でご主人と再会する希望を持っていただきたいと願いつつ、司式をさせていただいた。

お元気だった頃のご主人の写真を眺めながら、懐かしい思い出をたどり、ご主人のお好きだった聖句から神様の素晴らしさをお伝えした。しかし、ご婦人は、昔の楽しかった出来事を思い返して、「やっぱり死んだのね・・・」と、寂しそうにひと言つぶやかれた。

「天国で生きておられますよ。また会えますよ」と励ましても、私の言葉では心に届かないようだった。しかし、最後に、式次第に書かせていただいた聖句「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)を紹介させていただいたとき、不思議なことが起こった。

ご自分で、その聖句をゆっくりと声に出して読んでいかれたのである。そして、読み終わって「ほんと、書いてあるわ・・・」と言われ、ほほ笑まれた。内住のイエス様が直接ご婦人に語ってくださっているようだった。

イエス・キリストを信じることによって得られる罪の赦(ゆる)しと永遠の命の約束は、人の思いが揺らいだとしても決して変わることはない。しかし、神様を信頼して生きる信仰生活の習慣は、個人差はあるものの、すぐに身につくわけではない。継続的な聖書の言葉による養いが必要である。

大切な家族を失い、悲しみの中を生きる高齢者に寄り添い、聖書の言葉を届け、共に祈る働きが求められている。キリスト教葬儀の後には、必ずと言っていいほど寄り添うべき高齢者が遺族の中におられるものである。

教会はキリストの体であり、さまざまな角度から人々の弱さに寄り添える人材が用意されている。教会に集えない弱さを抱えた方々に対し、ためらうことなく寄り添うなら、主は、それらの働きを御心に沿って組み合わせ、満天の星のように祝福を広げてくださるに違いない。

「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです」(Ⅰペテロ3章9節)

 

引用:クリスチャントゥデイ -「日本人に寄り添う福音宣教の扉(22)遺族に寄り添うキリスト教葬儀文化」(2017年6月15日)

葬儀社では牧師の手配ができないと言われ…

母の容態が悪いのは知っていましたが、突然亡くなったため葬儀の準備がなく、病院指定の葬儀社になりました。葬儀社では牧師の手配ができないと言われ、困っていましたが御社が見つかり大変助かりました。牧師夫妻が寄り添ってくださったお陰で、慰めに満ちた良い葬儀になりました。ありがとうござました。

依頼者:千葉県 M様

希望を与える素敵な微笑

2年前の秋から訪問を続けてきた高齢の女性が天に召された。100年近い長い年月を駆け抜け、人生の喜びと感謝を関わる人々に残された。私たちがお交わりできた時間はわずかだが、大変貴重な体験を頂いたように思う。

あらゆる環境で柔軟に自然体を貫いてこられたような方だった。ご家族を支えながら、ボランティア活動にも積極的に励んでこられた。若い頃に信仰を持ち、1941(昭和16)年、大戦の最中に洗礼を受けておられたが、ご家族が信仰を持つまでそのことを打ち明けることはなかった。

仏壇を受け継いでおられたが、その中にご自分の大切なものをしまい込み、その前に座って、天の神様に祈りを積まれていたようだ。隠しておられたわけではないと思うが、自然体なので、彼女の信仰が天の神様に向かっていることを、誰も知らなかったらしい。

神様は、そんな彼女の祈りに応えるかのように、やがてご家族が信仰を持ち、共に教会に行ける時が来て、初めてご自身の信仰を告白された。もう80歳になろうとしているときである。そして90歳になり、ご長女家族と同居するようになって、ようやく熱心に教会に通われるようになった。

私たちが訪問すると、いつも笑顔を絶やさず温かく迎えてくださった。祈りと賛美に心を合わせ、クリスマスには共に楽しそうに賛美歌を歌ってくださった。そんな彼女が今年になり、さらに体力が落ちたのだが、出会う人たちにお別れのあいさつを始めたという。まるで引っ越しの際にお世話になった人にお礼のあいさつをされているようであった。ご長女から葬儀の相談があったが、それから間もなく、静かに眠るように天に召されていかれた。

宣教はキリストの福音を伝えることである。聖書に記される福音は、確かに人を生かす力がある。しかし、その福音を信じる人の人生が証しになってこそ、宣教は進んでいくに違いない。

人は生まれてくる環境を自分で選ぶことはできない。神様が備えてくださったそれぞれの場がその人の人生であり、福音宣教の現場になる。

私たちも、人生の荒波の中で、信仰をもってすべてを受け入れ、柔軟に、自然体を貫き通せるようになりたいものだ。そして、多くの人々に希望を与える素敵な微笑を残して天国に凱旋したい。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5章16~18節)

引用:クリスチャントゥデイ -「日本人に寄り添う福音宣教の扉(27)微笑から宣教の扉が開く」(2017年8月24日)

 

戦後まもなく洗礼を受けた方の葬儀

故人は、戦後まもなく洗礼を受けましたが、その後集った教会とのつながりは薄く、司式をお願いできる牧師はいませんでした。今回無宗教葬儀を準備しましたが、ネット検索により御社を見出し、お願いすることができました。お陰様でとても良い葬儀になりました。ありがとうございました。

依頼者:埼玉県 T様

自宅から良い送り方ができました

急なお願いをしましたが、前日にも訪問下さり寄り添ってくださいました。火葬前に良い時間を持ちたいと願っていました、自宅から良い送り方ができたと思います。ありがとうございました。

依頼者:北海道 K様

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