宣教は人の努力ではなく、神様(聖霊)の働きによって進みます。神様ご自身が光を放ち、必要な備えを与えてくださるはずです。…期待して待ち望み、主の輝きを常に携える者でありたいと願います。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/35254/20251018/nihonjin-ni-yorisou-233.htm
カテゴリー:感謝の証
宣教は人の努力ではなく、神様(聖霊)の働きによって進みます。神様ご自身が光を放ち、必要な備えを与えてくださるはずです。…期待して待ち望み、主の輝きを常に携える者でありたいと願います。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/35254/20251018/nihonjin-ni-yorisou-233.htm
「善き隣人バンク」の働きは、傾聴を希望する人の話を聴き続ける単純な働きです。…しかし、この働きは、イエス・キリストの霊(聖霊)を幅広く日本社会にご紹介する働きになっていくでしょう。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/35207/20251004/nihonjin-ni-yorisou-232.htm

日本宣教拡大を目指して、さまざまな宣教手段を試してきました。試行錯誤が数年続きましたが…介護保険外サービスとして始めた「継続的な傾聴」の宣教効果が、最も優れていることに気付きました。https://www.christiantoday.co.jp/articles/35164/20250920/nihonjin-ni-yorisou-231.htm

https://www.christiantoday.co.jp/articles/26357/20181217/nihonjin-ni-yorisou-59.htm この3年ほど、多くの方からキリスト教葬儀の司式を依頼され、全国の牧師先生と協力しながら対応させていただいた。葬儀に当たり、身近に頼れる牧師がいない遺族の皆さんに、心を込めて寄り添う道が開かれていった。

東京におられる日本人のご親族の仲介で、外国人カップルのバウリニューアル(結婚の誓いの更新)をニセコスキー場で実施しました。
残念ながら天候に恵まれず、雨の中の誓いの時となりましたが、お二人の結婚生活にとって、とても意義のある良い時を持たせていただきました。 今後、ニセコを中心にこのような企画を幅広く行い、年末には依頼がいただけるようプランを設定する予定です。同時に連携できる牧師、教会、業者、施設を調査し、必要に応じ提携を行います。
半年ほど前のことだが、海外にお住まいのクリスチャンの女性より葬儀司式の依頼が入った。ご両親は日本で暮らしておられたが、お母様が病床で信仰を告白されて召されたとのことだった。
故人も連絡をくださった娘様も信仰を持っておられたので、一般的な流れでキリスト教葬儀の司式をさせていただいた。ところが、そのご家族は、長年仏教文化を受け継ぎ、ご自宅には立派な仏壇が備えてあることが分かった。
喪主である未信者のお父様は、遺骨を持ち帰り、仏壇の前ではなく、仏壇の隣に安置したが、故人となってしまった奥様との新しい関係を築けない不安を抱いておられた。
仏教では、葬儀の後、7日目ごとに「法事」の習慣があり、49日目には親族が集まる大切な時になる。ほとんどの仏教宗派には「追善供養」という目的があるため、故人のために招かれる僧侶の読経にも心を合わせる気持ちになる。
しかしながら、キリスト教には頻繁な「法事」の習慣も「追善供養」の目的もない。未信者のお父様が、奥様の遺骨を前にして、心を向ける先が見いだせず、戸惑うのも当然だろう。
信仰を持っておられる娘様は海外にお住まいということもあり、寄り添う人材が必要と判断した私たちは、早速、適任者を選んでお父様を定期的に訪問するようにさせていただいた。
お父様の心が、奥様を天国に導いてくださった神様に向かうには時間がかかるかもしれない。しかし、仏壇の隣に置かれた奥様の遺骨を前にして、心を天に向ける時を共に持たせていただいている。
良い時間を重ねるごとに、故人にだけ向けられていた思いが、故人を愛して天国に導いてくださった神様に向けられてきている。神様の大きな愛がやがてお父様の心をとらえる時が来るだろう。天国で奥様と再会する希望を持っていただきたいものである。
引用:クリスチャントゥデイ -日本人に寄り添う福音宣教の扉(34)遺族の心に寄り添う(2017年12月1日)
先日、若い頃にキリスト教に触れたと言われる女性が癌(がん)に侵され、余命1カ月と宣告された。ご家族はキリスト教葬儀を希望されたが、牧師に伝手(つて)がなく、ご子息が当社に事前相談を寄せられた。
それから約1カ月が過ぎた。ご子息より、余命1週間という知らせとともに、ご本人が「キリスト教に入信したい」と言われていることが突然知らされたのである。
ご家族の今後のことを考えると、近隣の牧師に継続的に寄り添っていただくべきと思い、最善を備えてくださる主に祈りつつ、関東地区の連携牧師名簿から適任者を選ぶことにした。
関係者と共に祈る中、2日後に素晴らしい報告が届けられた。死を目前にした弱さの極致にある方だったが、牧師の訪問を待っていてくださった。そして、その場で、ご自分の意思で福音を受け入れ、信仰を告白され、洗礼を受けられたのである。
おそらく、その場に駆け付けたご家族と共に、天国の窓が開く経験をされたことだろう。死を目前にした絶望とも思える状況の中に、輝く大きな希望を見いだされたのである。
その日から実際に召されるまでの1週間、弱さのただ中で、天地の創造者に心を向けられた。日々、洗礼を受けたことを喜び、与えられた人生に感謝し、天国の希望を告白して過ごされたようである。
葬儀は、洗礼を授けた牧師が司式した。それまで祈りつつ備えてきたキリスト教葬儀社や関係者の見守る中、天国に凱旋された故人を偲び、神様に感謝する感動的な葬儀が執り行われた。
ご家族にとっては、大切な家族を失った悲しみの中にも、大きな慰めを得たエンディングであったことは言うまでもない。
引用:クリスチャントゥデイ -「日本人に寄り添う福音宣教の扉(30)希望溢れるエンディング」 (2017年10月5日)
先日、ご主人に先立たれた高齢のご婦人に寄り添い、老人ホームの一室を借りて記念会を行った。先に信仰を持って召されたご主人の後を追うように、ご婦人は信仰を持たれ、すでに洗礼を受けておられた。
洗礼を受けられたとはいえ、高齢になってから聖書の言葉を理解し、祈る習慣を持つことは容易なことではない。ご自分で教会に集える状況ではないので、記念会の場を借りて、聖書の言葉をお伝えし、天国でご主人と再会する希望を持っていただきたいと願いつつ、司式をさせていただいた。
お元気だった頃のご主人の写真を眺めながら、懐かしい思い出をたどり、ご主人のお好きだった聖句から神様の素晴らしさをお伝えした。しかし、ご婦人は、昔の楽しかった出来事を思い返して、「やっぱり死んだのね・・・」と、寂しそうにひと言つぶやかれた。
「天国で生きておられますよ。また会えますよ」と励ましても、私の言葉では心に届かないようだった。しかし、最後に、式次第に書かせていただいた聖句「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)を紹介させていただいたとき、不思議なことが起こった。
ご自分で、その聖句をゆっくりと声に出して読んでいかれたのである。そして、読み終わって「ほんと、書いてあるわ・・・」と言われ、ほほ笑まれた。内住のイエス様が直接ご婦人に語ってくださっているようだった。
イエス・キリストを信じることによって得られる罪の赦(ゆる)しと永遠の命の約束は、人の思いが揺らいだとしても決して変わることはない。しかし、神様を信頼して生きる信仰生活の習慣は、個人差はあるものの、すぐに身につくわけではない。継続的な聖書の言葉による養いが必要である。
大切な家族を失い、悲しみの中を生きる高齢者に寄り添い、聖書の言葉を届け、共に祈る働きが求められている。キリスト教葬儀の後には、必ずと言っていいほど寄り添うべき高齢者が遺族の中におられるものである。
教会はキリストの体であり、さまざまな角度から人々の弱さに寄り添える人材が用意されている。教会に集えない弱さを抱えた方々に対し、ためらうことなく寄り添うなら、主は、それらの働きを御心に沿って組み合わせ、満天の星のように祝福を広げてくださるに違いない。
「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです」(Ⅰペテロ3章9節)
引用:クリスチャントゥデイ -「日本人に寄り添う福音宣教の扉(22)遺族に寄り添うキリスト教葬儀文化」(2017年6月15日)
2年前の秋から訪問を続けてきた高齢の女性が天に召された。100年近い長い年月を駆け抜け、人生の喜びと感謝を関わる人々に残された。私たちがお交わりできた時間はわずかだが、大変貴重な体験を頂いたように思う。
あらゆる環境で柔軟に自然体を貫いてこられたような方だった。ご家族を支えながら、ボランティア活動にも積極的に励んでこられた。若い頃に信仰を持ち、1941(昭和16)年、大戦の最中に洗礼を受けておられたが、ご家族が信仰を持つまでそのことを打ち明けることはなかった。
仏壇を受け継いでおられたが、その中にご自分の大切なものをしまい込み、その前に座って、天の神様に祈りを積まれていたようだ。隠しておられたわけではないと思うが、自然体なので、彼女の信仰が天の神様に向かっていることを、誰も知らなかったらしい。
神様は、そんな彼女の祈りに応えるかのように、やがてご家族が信仰を持ち、共に教会に行ける時が来て、初めてご自身の信仰を告白された。もう80歳になろうとしているときである。そして90歳になり、ご長女家族と同居するようになって、ようやく熱心に教会に通われるようになった。
私たちが訪問すると、いつも笑顔を絶やさず温かく迎えてくださった。祈りと賛美に心を合わせ、クリスマスには共に楽しそうに賛美歌を歌ってくださった。そんな彼女が今年になり、さらに体力が落ちたのだが、出会う人たちにお別れのあいさつを始めたという。まるで引っ越しの際にお世話になった人にお礼のあいさつをされているようであった。ご長女から葬儀の相談があったが、それから間もなく、静かに眠るように天に召されていかれた。
宣教はキリストの福音を伝えることである。聖書に記される福音は、確かに人を生かす力がある。しかし、その福音を信じる人の人生が証しになってこそ、宣教は進んでいくに違いない。
人は生まれてくる環境を自分で選ぶことはできない。神様が備えてくださったそれぞれの場がその人の人生であり、福音宣教の現場になる。
私たちも、人生の荒波の中で、信仰をもってすべてを受け入れ、柔軟に、自然体を貫き通せるようになりたいものだ。そして、多くの人々に希望を与える素敵な微笑を残して天国に凱旋したい。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5章16~18節)
引用:クリスチャントゥデイ -「日本人に寄り添う福音宣教の扉(27)微笑から宣教の扉が開く」(2017年8月24日)
『神は大いなる事をなして測り知れず、その奇しいみわざは数えきれない。』 聖書 ヨブ記5章9節
酷暑の夏ですが、日が沈み、夜空に輝く満月を見上げていると落ち着いた気持ちになるものです。昼間の日差しが厳しいだけに、その光を反射して穏やかな色合いを放つ月の光が心を落ち着けてくれます。
人の歩みの中には、厳しい現実があります。酷暑に立ち向かう時のように、それぞれが弱さを抱え、現実と戦わなければならないときがあります。 どうして、神様は私にこのような試練を与えられるのだろうか?と 疑問になることもよくあります。
しかし、神様が夜空に輝く月のように優しい光を届けてくれる時があります。同じ神様が時には厳しく、そして時には優しく寄り添ってくださるのです。
『すべてのことを働かせて益としてくださる・・』と聖書には書かれてあります。
酷暑の続く夏の日差しを知った人だけが、月の光の優しさを実感できるのかもしれません。
神様のされることは、私たちには想像もつかないことですが、神様の計画には、私たちを幸せにする祝福のプレゼント(blessing)が満ちているにちがいありません。
『私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのこと(試練)の中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです』 聖書 ローマ書8章
神様はあなたを愛しておられます。
あなたに祝福が届きますように Bless your home!!