新規共同墓地を全国に展開予定

全国から寄せられるキリスト教共同墓地のニーズに応え、来年度より、北海道、関東を皮切りに全国に展開する予定です。今後の展開状況をお伝えしますので、ご興味のある方はご連絡ください。

1年の記念会を、依頼者自宅にて、寺院墓地に移動してキリスト教納骨式

仏教の背景のあるご家庭ですが、娘様が先に信仰を持ち、お母様が召される前に信仰を持ちました。
その後、残されたご家族に対し、昨年末まで話し相手・付き添いサービスを実施、
祈りを積んできました。1年が過ぎ、去る日曜日の朝、ご自宅で天国の希望を確認して記念会を行い、
その後、寺院が管理する墓地に出向き、キリスト教式で納骨式を行いました。

クリスチャン新聞に掲載されました!  – キリスト教葬儀を大衆に –

2018年4月8日のクリスチャン新聞に、代表取締役・牧師の広田の記事が掲載されました。

 

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クリスチャン新聞「キリスト教葬儀を大衆に」

大家族の祝福!イースターの朝の納骨式

故人が、戦後満州から帰国された後、結婚されてご家族が増え、
イースターの朝の納骨式には、30人程度が集まりました。
ひ孫さん達が多かったので、最前列に招き、墓前で紙芝居を紹介しました。
短いメッセージでコンパクトにイエス様の復活を伝えましたが、
子どもたちの真剣な眼差しが印象的でした。天候にも恵まれ、祝福の時となりました。

 

終活セミナーを開催しませんか?

2018年、地域の教会の皆さんには、宣教のビジョンを新たにしておられる ことと存じます。全国における死亡者数は年間140万人、毎日4000人近い 方が命を落とす時代になりました。このような多死社会を迎え、人生の 終焉に対する備えが強く求められています。 ブレス・ユア・ホームでは、全国の地域教会のニーズに沿って 終活セミナーを各地で開催させていただきます。

老人ホームの一室で、天国での再会を期待して!

3年前に召されたご主人を偲び、奥様が入居されている老人ホームのお部屋を借りて記念会をおこないました。
ずっと、話し相手・付き添いサービスを通して寄り添ってきたご家族でしたので、和やかな時になりました。
紙芝居を使って「人の子は失われた人を捜して救うために来たのです。」という聖書のことばをお伝えし、
召されたご主人と共に、神様に見出され、天国に招かれていることを確認しました。
大変良い時間になり、手を取ってお祈りした後、食事に招かれ、ご家族と親しくお交わりをさせていただきました。

 

日曜日午前中、外国人牧師による司式を手配!

日本に長年住んでおられる米国人より、日曜日の午前中、
英語司式の可能な牧師の派遣を依頼され、対応できる牧師を
さがしました。早速、連携者に相談をかけ、フィリピン人
宣教師にお願いすることになりました。
一般の葬儀会館でしたが、当日は、バイオリンの演奏が
5曲ほど入り、厳かなキリスト教葬儀になりました。

外国人カップル ニセコスキー場にて、結婚の誓いの更新

東京におられる日本人のご親族の仲介で、外国人カップルのバウリニューアル(結婚の誓いの更新)をニセコスキー場で実施しました。
残念ながら天候に恵まれず、雨の中の誓いの時となりましたが、お二人の結婚生活にとって、とても意義のある良い時を持たせていただきました。  今後、ニセコを中心にこのような企画を幅広く行い、年末には依頼がいただけるようプランを設定する予定です。同時に連携できる牧師、教会、業者、施設を調査し、必要に応じ提携を行います。

残された親族と共に祈る

半年ほど前のことだが、海外にお住まいのクリスチャンの女性より葬儀司式の依頼が入った。ご両親は日本で暮らしておられたが、お母様が病床で信仰を告白されて召されたとのことだった。

故人も連絡をくださった娘様も信仰を持っておられたので、一般的な流れでキリスト教葬儀の司式をさせていただいた。ところが、そのご家族は、長年仏教文化を受け継ぎ、ご自宅には立派な仏壇が備えてあることが分かった。

喪主である未信者のお父様は、遺骨を持ち帰り、仏壇の前ではなく、仏壇の隣に安置したが、故人となってしまった奥様との新しい関係を築けない不安を抱いておられた。

仏教では、葬儀の後、7日目ごとに「法事」の習慣があり、49日目には親族が集まる大切な時になる。ほとんどの仏教宗派には「追善供養」という目的があるため、故人のために招かれる僧侶の読経にも心を合わせる気持ちになる。

しかしながら、キリスト教には頻繁な「法事」の習慣も「追善供養」の目的もない。未信者のお父様が、奥様の遺骨を前にして、心を向ける先が見いだせず、戸惑うのも当然だろう。

信仰を持っておられる娘様は海外にお住まいということもあり、寄り添う人材が必要と判断した私たちは、早速、適任者を選んでお父様を定期的に訪問するようにさせていただいた。

お父様の心が、奥様を天国に導いてくださった神様に向かうには時間がかかるかもしれない。しかし、仏壇の隣に置かれた奥様の遺骨を前にして、心を天に向ける時を共に持たせていただいている。

良い時間を重ねるごとに、故人にだけ向けられていた思いが、故人を愛して天国に導いてくださった神様に向けられてきている。神様の大きな愛がやがてお父様の心をとらえる時が来るだろう。天国で奥様と再会する希望を持っていただきたいものである。

 

引用:クリスチャントゥデイ -日本人に寄り添う福音宣教の扉(34)遺族の心に寄り添う(2017年12月1日)

 

幼子と共に祈る

クリスマスの時期になると、教会はさまざまな子ども向けのイベントで忙しくなる。若い頃から幼児、児童伝道の奉仕を続けてきた私には、子どもたちと交わった懐かしい思い出がたくさんある。子どもたちの純粋な信仰は、いつも私の信仰生活の模範になってきた。

もう30年ほど前になるが、3歳になる娘を入園させる良い保育所を熱心に探したが、思い余って自宅を無認可保育所にしてしまったことがあった。小さな一軒家であったが、子どもたちに良い環境を備えたい一心であった。私は忙しい会社勤めがあったので、普段は保母さんと私の妻が子どもたちを保育し、週に1度だけ、私が会社のフレックス制度を利用して、礼拝の時間を導いていた。

あまり例のない3歳児の1年だけの小規模保育園で、良い保育環境を目指したこともあり、数年後には12人の定員がいっぱいになり、入園をお断りしなければならないこともあった。残念ながら、家庭の事情で10年間だけの働きで終わったが、多くの未信者家庭の子どもたちが信仰を得て卒園していったことは感謝なことだった。

幼子が普段の生活の場でいとも簡単に信仰を持ち、神様の恵みを体験していくさまに、いつも感動を覚えていた。信仰を持つことは特殊なことではなく、人にとって自然なことであることを、この期間を通して教えてもらったように思う。

忙しい会社生活、子育て、教会生活の時が過ぎ去り、60歳を過ぎた昨年、結婚した娘が出産し、私にも待望の初孫が与えられた。すぐ近くに住んでいることもあり、毎日顔を合わせている。この初孫がどのように成長し、信仰を育んでいくのか実に楽しみなところである。

幸いにも、この1歳になった孫と2人だけで過ごす時が毎日与えられているので、賛美歌を歌ったり、絵本を読んだり、祈ったり、いろいろなことを試している。かつて保育園で経験したように、普段の生活の中で自然に信仰を得てほしいと願う毎日である。手を合わせて祈りの姿勢をまねたり、また「アーアン」(アーメン)と言ってみたりする様子はとても愛らしいが、ある時、孫がそばにいることをあまり意識せずに、声に出して祈っていると、じっと私の顔を見ているのに気が付いた。

幼子にとっては理解できない私の祈りの言葉ではあるが、心を神様に向けて祈る私の様子をじっと見つめているのである。いったい何を感じているのだろうと思っていたら、先日同じような孫の表情を、別の機会に見つけた。それは、孫の相手をしているときに携帯電話が鳴った直後だった。私が電話機を持って話している間、私が祈っているときと同じ表情をして私をじっと見ているのである。

目には見えないが、誰かと大切な話をしていることを、この幼子は理解しているようである。電話の相手を知る必要はないが、私が祈りを向ける神様に心を向けているとしたらうれしいことだ。

祈りは、人に見せるものではない。しかし、寄り添ってくれる人が、心からそばで祈るなら、祈りを向ける先におられる神様に、いつか共に触れることになるに違いない。良い関係を持ちながら、心を注ぎ出して祈るなら、いつか祈りを合わせてくれるだろう。

現在、私は高齢者に寄り添うことが多くなったが、幼子と高齢者は、弱さを身にまとっているという共通点がある。彼らは自分で教会に来ることも、聖書を読むことも難しい。しかし、彼らの弱さに寄り添って、心を注ぎだして祈るとき、聖書の言葉は祈りの言葉となって、彼らの心の深みに伝わっていくのだろう。

私たちは、幼子や高齢者、その他、弱さを抱える多くの人々のもとに遣わされ、彼らとともに天の神様に祈る時を持たせていただきたいものである。神様は天来の祝福を、私たちが寄り添う一人一人にも、豊かに注いでくださるに違いない。彼らとともに、天の栄光を拝するものとさせていただこうと思う。

 

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(Ⅱコリント12章9節)

 

引用:クリスチャントゥデイ -日本人に寄り添う福音宣教の扉(35)幼子と共に祈る(2017年12月14日)