弱さのうちに


2015.7.5 追悼展より    

 

・・・Ⅱコリント:12: 9

わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである

 

今年のはじめ、体調を崩されたお年寄りを病院にお連れしました。診察の結果、異常はありませんでしたが、念のため検査入院されることになり、私は安心して帰宅しました。  それからしばらくして、退院される頃だろうと病院を訪ねると、そのお年寄りの様子は一変していました。環境の変化の中、廊下で転んで怪我をされ、軽い脳梗塞を発症、さらにご家族の心配事などで、座っていることもできない状況でした。その後も病状の悪化は続き、ついに食事もできなくなり、点滴と口から胃に管が通され、手は動かないように吊るされてしまいました。「家に帰りたい!」というご本人の叫びと「帰してあげたい!」というご家族の声が日増しに大きくなっていきました。病院で延命するよりも短くても自分の家で良い時間を過ごし、家族に守られて天国に召されたいと願う気持ちはよく理解できました。

家に帰るためには、在宅で診て頂ける医者と訪問看護師、ヘルパー、ボランティア、家政婦 などを探す必要がありました。神戸のような都会では探せば見つかるものですが、24時間体制となると、それらに加えて、ご家族を助ける「寄り添う人」が必要でした。    「寄り添わせてください」と始めたブレス・ユア・ホームにとって、大きなチャレンジの時でした。「仕事で寄り添ってください」とご家族が申し出てくださり、祈りながら退院をお手伝いし、ご自宅に通うようになりました。

慣れ親しんだお部屋に戻られたお年寄りには、安堵の表情がありました。お部屋でも医療行為ができるようにスペースを確保し、賛美歌のCDを繰り返し流しました。既に信仰を持っておられたので、お好きな賛美歌が流れると手を挙げて賛美と祈りを捧げられるようになりました。身動きの取れなかった病院のベッドとは全く違う温かい空間の中、手を取って祈ると、頷きながら時には涙を流されました。弱さの極限に向かって時間がゆっくりと過ぎてゆきました。

 住み慣れたお部屋に戻られて、天に召されるまでわずか12日間しかありませんでした。しかし、その間に神様の与えてくださった祝福はかけがえのない大きなものでした。ともに寄り添った奥様や姪御様が、これらの試練の中で信仰を持たれ、そのお部屋で洗礼式が持たれました。その時には、力の限りしっかりと目を開けられ、手を合わせて感謝を表され、その様子に集まった多くの人が感動の涙を流しました。

 体格の良いお年寄りでしたが、天に召された時は痩せて小さく見えました。本当に弱くなられました。 しかし、微笑みながら、神様に抱かれて「それじゃ 天国で待っているから・・」と手を振ってくださっているように思いました。天に宝を積んだ方の最期は清々しい旅立ちの朝でした。